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目次
序節
第一節
第二節
第三節
第四節
終節

-The other side story-
Linkage : 01 リギとターリエ

Fabulatore Official Website
リギ リギ
孤児の少女。
ターリエ ターリエ
能天気な雑役女中。
ユリアーネ ユリアーネ
裏通りに住む老婆。
ヘンベラトス ヘンベラトス
お菓子作りの得意な中年女性。

―― 序節:これは、大事なことなのだ ――

舞い立つホコリが抜けていく大通り。
ガタガタと車輪を鳴らしながら、馬車が通り抜けていく。
人通りはまばらで、立ち止まるものはいない。
ろくに舗装などされていない街中に、少女は立っていた。
編まれた金髪はほどけかけ、汚れてくすんでいる。

少女は、孤児だった。

勢いに任せて石段を駆けあがり、玄関の木扉に必死にしがみつく。
これは、大事なことなのだ。
泥と涙でドロドロになった少女の表情は、壮絶なものになっていた。
扉を閉めさせまいと、なけなしの力を振り絞る。
少女は矢継ぎ早に言葉を放つが、扉の向こうの相手は取り合わない。
扉を閉めようとする力が強くなる。
少女が踏ん張っていた足もじりじりと引きずられてゆくが、
そんなことはさせない。少女が最大限の力を込めた、その瞬間。

争っていた相手が、手を離した。

扉が急激に開き、少女は壁にぶつかった。
よろめき、今にも石段から落ちそうになっている彼女を、
扉の中から現れた人物が突きとばす。
少女が地面に叩きつけられ、土埃が立った。
目を見開いた少女の目尻にじわりと涙が浮かんでくる。
彼女がそうして通りに放り出されるのは、前日を含め、もう何度目だろう。
悲しそうな声をあげると、少女は背中についた土埃もかまわず、また向かっていこうとする。
しかし、そこで笛が鳴った。自警団だ。
今はまだ見えないが、やがて警棒を振りかざしやってくるのだろう。
目まぐるしく表情を変動させ、逡巡していたが、少女は笛が聞こえたのとは逆、
左のほうへ通りを走っていった。曇天は続き、晴れる気配は無い。
途中誰かに手招かれたのだろう、速度をゆるめながら少女が路地へと入っていく。
木扉が、ゆっくりと閉まった――。


―― 1 : その女の子は誰なの? ――

召使いの格好をした女性が、細い裏路地を鼻歌まじりで歩いている。
足取りはかろやかだ。時々身を回し、左右から迫る家の壁をなぞったりしている。
白いヘッドセットの下で、亜麻色の髪の毛が揺れた。
すらりと伸びた白タイツの足先が円を描く。
ストラップのついた黒の革靴が、軽快な音を立てて踊る。
ついにはオペラ歌手のように歌い出し、「鍵をかけたからあなたは出ていけないわ~」
「静かなあなたのほうが好きよ~」などと、とんでもない内容の歌詞が飛びだしてくる。
これは、今流行の、老主人と賢い女中が出てくるオペラの一幕だ。
歌唱が最高潮に至り、調子っぱずれに歌いあげ終わると、
召使いの女性が、カーテンコールかのようにお辞儀をする。
両側の家からパラパラと拍手が飛んだ。

「ターリエちゃん、相変わらず上手いねぇ」

左側の窓から老婆の声が聞こえた。

「そうですかねぇ、そうですかねぇ!」

「きゃー」と恥ずかしがっているのか、どうかわからない声が上がる。
ターリエと呼ばれた彼女は、かさのあるクセっ毛をもしゃもしゃとかき回していた。

「ターリエちゃんを見てるとねぇ、明るくなれる気がする」

窓際に座る老婆が、人好きのする笑顔を浮かべた。

「張り合いが出ますねえ」

ターリエは老婆にふにゃっとした笑顔を返すと、
喉の調子を確かめ始める。もう一発歌うつもりなのだろう。
しかし、老婆の興味はすでに、ターリエの背後に隠れている子供へと移っていた。

「見ない子だねぇ」

窓枠の桟程度の背の子供が、ターリエの外套の中でもぞもぞと動いていた。

「ふんふふーんフッ゛」

小さな手のひらが、ターリエの腰のあたりを軽く押した。
おおげさに転げ伏すターリエ。
外套がばさりと落ち、隠れていた子供の姿があらわになる。

換金用に長く伸ばされた金色の髪。痩せた身体。
ぼろぼろの衣服。ぶかぶかのブーツ。
先ほど大通りで騒ぎを起こした、孤児の少女だった。

「いいところだったのに!」

悪漢に突き飛ばされたような格好でしなを作り、嘘泣きを始めるターリエ。

「あ、あなたが早く歩かないからでしょっ……!」

細い肩を怒らせ、少女は反射的に文句を言う。
ターリエは一瞬真顔になると、
よよよ、と泣き声を大きくして、地面をごろごろと転がり始める。

「っ……!!」

ゆるい三つ編みを逆毛立て、少女は怒気を増大させる。

「ちょっとちょっとターリエちゃん、服が汚れるわよ。最近お外は危ないんだから」

老婆が苦笑しながらたしなめた。

「そうですねぇー」

びょん、と何事も無かったかのように立ち上がるターリエ。紺色のドレスに付いた土を猛然と払い始める。
ごすん、と鈍い音がした。ターリエはふと手を止め、舗装のされていない地面に視線を落とす。

「ん? そこでなにをやってるんですか?」

少女はターリエを蹴り飛ばそうとして、地面にすっ転んでいた。



顔を真っ赤にしながらターリエに掴みかかろうとする少女。
それを宥めすかし、老婆は話を改める。

「それで、ターリエちゃん、この元気な女の子は誰なの?」

平時でさえ日照時間が限られていれるのに、今日は生憎の曇り空。
背の高い家々に挟まれた路地裏は、その多くを影に覆われていた。

「それがですねぇー、昨日、とあるハゲアタマとこの美少女が大喧嘩をしているところに、
このターリエ、遭遇しましてですねー。信心深いわたくしとしては、これはいけない、と思いまして。
仲裁を申し出たわけですよ」

滔々と語るターリエの声が、陰気な空気を吹き飛ばすかのように響いていく。
少女は、つんとした顔をしているが、口元がにやけている。
美少女と言われたことに満更でもない様子だ。

「それでそれで?」

暖かい微笑みを浮かべながら、老婆は先をうながす。

「そしたらぁーなんかぁー懐かれちゃいましてぇー!」

少女が、カッと目を見開いた。
もしゃもしゃと頭をかき回すターリエを睨みつける。

「いいことをしたねぇ」

「あの!?」

「でへー」などと言いながら、
老婆に笑顔を向けるターリエは、少女の声に気づかない。

「……、っあのっっっ!?」

少女が地面を踏み鳴らした。

「ひゃあっ、どうしたのぉーリギちゃぁーん!?」

ターリエは素で驚いていた。リギと呼ばれた孤児の少女が、
土汚れの激しい指でピッ、とターリエを差す。

「……どうした、じゃないですっ、わたしがいつあなたに懐いたんですか!」

「え、だってそれは、ほら、私の中に、潜り込んで来たじゃなぁい……?」

「変に声作って! 外套の中に、でしょう!
今日自警団の人からかくまってくれたのは感謝します。
でも仲裁どころか、昨日は、あなたのせいで自警団呼ばれたんですよ……!」

「そうだっけ」

「そうですよ……! いつの間にか隣に立って、
わたしが言った事を大声で復唱しはじめて! やじ飛ばして!
なんなんですか! 自警団が来たら真っ先に逃げちゃうし!」

「なぁんなぁんでしょうねぇ~……、そーんなあたしに、
ほいほい付いて来ちゃってるリギちゃんもなーんなんでしょうねぇー……」

どうどうと詰め寄るリギをいなしながら、顔を背けるターリエ。

「あなたねぇ……! いいですか!
私は今にでもあの大通りに戻りたいぐらいなんです!
でも、あなたが、人を紹介してくれるって言うから、
それだから、私はついてきてるんであって……!」

「それを、信じちゃったんだねぇー」

老婆がうんうんとうなずく。
リギは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「嘘、なんですね……」

その顔が次第にわなわなと歪み始める。

「てきとうなこと、言ったんですねェ……!」

「ち、ちがうよぉ~ほんとだよ~」

おふざけでは無く焦り始めるターリエ。手を伸ばすが叩かれてしまう。

「もう、いいです。 わたしは、
やっぱり誰のお世話にもならず生きていきます!」

撫で肩を怒らせ、ほどけかけの三つ編みを振り乱して歩いていくリギ。

「人はみんな生まれた時から孤独なんです……!」

「おもしろい子ねぇ」

「ちょ、ちょっと~!」

ターリエは、老婆に抗議の声をあげた。
老婆は口に手を当て「あら、ごめんなさい」と上品な笑い声を上げている。

「もう、またあとで伺いますからねぇー!」

ぷんすか怒りながら、ターリエはリギを追いかけて走っていく。

はいはい、と笑顔で応じた老婆だったが、二人を見送るとため息をつく。

「今のご時世、あんなゆきずりの子に触れるのがどれだけ危ないのか、
ターリエちゃんは、解っているのかしら」


―― 2 : 黒ずんだ血まみれの遺体 ――

「はなしてくださいっ」

丁度裏路地を出たところだった。
一気に開けたその通りは、石畳によってしっかりとした舗装がなされている。

「だめですよぉ~、リギちゃんはあたしと居るんですぅ」

「きゃあっ」と悲鳴を上げたリギが、ターリエに抱き上げられる。
渡し船がすれ違える程度の中規模な水路。その際の通りで、ターリエはリギに追いついた。

「なんで……、私に、そんなにつきまとうんですか……!」

リギは必死に抵抗するが、大人と子供では腕力に差があり過ぎた。

「リギちゃんは、この街をちゃぁんと見ておくべきなんです」

じたばたし疲れたリギは、抱きかかえられたままターリエを睨む。
目を細めながら遠くを見るターリエ。

「ほらぁ、あそこの家、面白いでしょぉーこっちに倒れて来てるんですよぉー」

「えっ!?」

リギが思いっきり振り向くと、水路を挟んだ通り沿いの家々が
二人に向かって倒れてきていた。思わず顔を覆うリギ。
しかし、轟音を立て、屋根の瓦や石壁の破片が降り掛かってくる……
という事はいつまで経っても起こらなかった。
家々は、ある程度の段階で傾きを止めていたのだ。

「……?」

「あはは」

それもそのはず。
通り沿いの家々は元々、水路に向かって傾くように設計されているのだ。



現在二人が居るのは、渡し船がすれ違える程度の水路に面した、中規模な通りだ。
南方から引き込んだ運河は街の中心で分派し、水路として放射状に広がっていく。
その水路を動脈として、荷を街中に運んで行くのだ。
レトーマと呼ばれるこの街は、水運の街だ。
およそ200年前にアルメリア王国から独立した共和国自由都市の1つであり、
花を何よりも愛す人達が住んでいる。また宗教に寛容な為、周囲三国からの移民も多かった。
その為往来が激しく、そこには自然と商売が生まれる。
その商売に活用されたのが、この家の傾きだったのである。

ターリエは、リギを抱えながらゆっくりと通りを歩く。

「リギちゃんはー、なぁんでこんなに家が傾いてるのかわかりますー?」

「……古いから、ですか」

むくれながらも、知らない、で済ませるのはプライドが許さないのか、
リギは律儀に返事を返す。

「ふふーん、それでは、まず、この街の住宅事情から話さねばなりませんねぇ」

「あの、ごまかされませんよ……! 下ろしてください!」

再びリギがじたばたするが、ターリエはどこ吹く風だ。

「この街はですねぇー、家の間口の広さによって税金の額が変わってくるんですよー
それでぇ、税金をあまり支払いたくない住民達が生み出したのが、
家の横幅を狭くして、思いっ切り縦に伸ばせば良いじゃん!
というあまりにも子供の理屈じみた建築法でしてねー」

「……聞いたら、下ろしてくださいね」

不承不承といった声でつぶやくリギ。
よろしい、と頷くと、ターリエは言葉を続ける。

「で、ただ縦に長いだけの建物が林立する港町は、あまりにもあんまりだということで、
外装はちゃんとおしゃれに飾ること、という決まりが出来たんです」

「……そうですか」

「そうなんですよぉ~。ほら、辺りを見てください。
他の街より色とりどりな街だと思いませんかぁー?」

リギを抱きかかえたまま、周りを見せるかのようにくるりと一回転。
そこに広がる街並みは、相も変わらず細長い家々だった。屋根の色こそ画一的だが、
石壁についてはその例に当たらず、色取り取りの色が並んでいる。青、赤、黄色、緑……。
晴れた日に見れば、日光に照らされた花壇のようでそれはそれは綺麗だろう。
――しかし、それも数ヶ月前までのこと。

「すみませんけど、とても、そうとは……」

辺りの家の壁の塗料は禿げ、吊り下げられた花も枯れていた。
そうでした、とターリエが苦笑する。

「……今は、状況が状況ですからねぇ。まぁ、しょうがないとは思います。
少し前までは、綺麗だったんですよぉ」

リギが暗い顔をして押し黙る。

「……で、まあ、縦に伸びた家の中にあるのは当然急な階段です。
それで、階上に物を運ぶのにいちいち階段を上がるのは大変だ、ということで、
窓から荷物を吊り上げたり、吊り下げたりすることが、この街では当たり前になったんですよぉー。
商家では特にこういう構造の家が多いですねぇ。地面に対して直角に建ってる家だったら、
大きな荷物を吊り上げるとき、外壁擦っちゃいますよねー?
なので、家を傾ける事で、外壁と荷物の距離を空けることが出来……って聞いてますー?」

リギが思い詰めた表情で「降ろしてください」と言った。
その掠れたような小さな声は、不思議な迫力があるものだった。
少し悲しそうな顔をして、ターリエはリギを降ろす。

わきわきと両手を握っては広げるターリエ。
その顔は、とても名残惜しそうだ。

「子供が好きだからわたしに構うんですか」

うつろな目で、リギはターリエに問う。
ターリエは首を横に振った。

「こうなりたく無いからですか? 少しでも良いことをして、救われたいと」

そう言ってリギが指差したのは、
通りの軒先に座り込んでいる男だった。
水滴を落としたかのような黒い染みが身体中を覆い、
穴という穴から血が噴き出した跡がある。

「そうなんでしょう?」

男の頭上には、ハエが集っていた。


―― 3 : 貧乏な人たちは何を見る ――

ターリエは首を横に振る。

「神に涙を注がれたくないから慈善を行おうと、
そういうことでは無いんですか?」

男からは、酷い腐敗臭がした。
ターリエは、少し寂しそうな顔をしてまた首を横に振る。

「違いますよ」

「嘘つき。私をそばに置いておきたいと言うわりに
私の事なんにも聞いて来ないじゃないですか」

眉を八の字にして、困った、という笑みを浮かべているターリエ。

「私が孤児で可哀想だからですか。死病が蔓延しているこの状態で、
可哀想な子を助ける信仰心に篤い自分を感じたいからですか!」

「リギちゃん……」

「もう、何なんですか……!ほっといてくださいよ……!」

スカートの裾をぎゅっと握るリギ。

「あなたの為になんて、私、助けられたくありません――!」

涙混じりの怒声。最大限の拒絶だった。

ターリエの喉が鳴った。

「は」

息が抜ける音がする。次いで出るのは非難の言葉だろうか。

「は、あっはははははははははは」

大爆笑だった。ターリエの目尻には涙が浮かんでいる。
リギは思いっきり眉をしかめ、口を引き結んだ。

「……あなたがひどい人だということは、よくわかりました」

ひぃひぃと肩で息をしながらターリエはまだ笑っている。
リギは蔑むような視線を送ると、背を向けて歩き始める。

「ちょっとぉ~待ってくださいよぉー」

ようやく笑い終わったターリエは、
リギの背についていく。リギからの反応は無い。

「わたしがリギちゃんの事をなんにも聞かないのは
必死なのがよぉく解るからですよぉー」

無言の背中に、ターリエは話しかける。

「色々聞く人って言うのはそれこそ、“可哀想な子を助ける信仰心に篤い自分”
を感じたい人なんじゃないんですかねぇ~?」

いじわるな笑みを浮かべるターリエ。
きっ、と険のある目付きでリギは振り返る。

「でもきっと、そういう人も興味だけじゃなくて少しは助けてあげたい、と思ってるんですよ~
きっと、全員が全員、自分の事しか考えてないってわけじゃないと思うんですよねぇー」

うんうん、と知ったような口をきくターリエに、リギの反応は冷たい。

「……なんにも聞かないあなたは、結局助ける気なんか無いじゃないですか」

「でも、必死に頑張ってる人に、手を差し伸べるのって、偉そうですよねぇ。私はそんな偉い人間じゃないですし」

召使いですし? と言ってスカートの裾をつまみ、カーテシーのポーズをとるターリエ。

「じゃあ召使いらしくしたらどうですか?」

「おやおやぁ厳しい~」

リギが背を向けたままため息をつく。

「でも、気になっちゃうんですよねぇー。リギちゃんのこと」

そう言ってターリエは、リギの解けかけの三つ編みを手に取り、編み直し始める。

「だから――!」

リギが振り向きざまに手を振り払うと、ターリエはぱっと手を離した。

「責任なら、持つつもりですよぉ~」

ターリエがとても優しい顔をする。

「ずっとずっと、それはもうおばあちゃんになるまで!
偉そうな事をするんだから当然です。
リギちゃんにはこの街を見ておいて欲しいんです、
知っておいて欲しいんです。リギちゃんの抱えている残念は、
きっと払う事が出来ます。だから、その第一歩として、紹介したい人が居るんですよぉ~」

「…………」

肩を怒らせたまま、下を向くリギ。

「……なんで、そこまでしてくれようとするんですか」

少し目を伏せるターリエ。
しゃべれば辺りに花が咲くような春爛漫の声色に、陰りが差した。

「少し、話をしても良いですか。建物の話です」

リギはいぶかしげにターリエを見る。
話しますよ、と言って、ターリエはとつとつと話し始める。

「さっきの建物の話で言えば、貧乏な人は、狭い家を作る事を余儀なくされるわけです。
そこまで土地も取れないため、奥に伸ばすという事も出来ない。それでも生活スペースは確保したい。
そうやって、貧しい人たちは、建物を上へ上へと増築していく。そこで、貧乏な人たちは何を見ると思いますか?」

微笑して、ターリエは問う。なぜだろう。笑っているのに、その笑みは、
今すぐどこか掻き消えてしまいそうな痛々しさを感じるものだった。

「現実。もしくは、無理して増築したせいで倒壊した家の残骸、ですか」

何かを感じ取ったのか、リギはターリエをまっすぐ見つめて答えを返す。

「いいえ。そこで、貧乏な人は見るわけです。
横に太った裕福な人の家からは見えない、街の眺望を。
朝陽が昇る瞬間なんて凄いですよ、屋根に光が反射して。
ああ、今日も生きていて良かったな、なんて思うんです。今は、まだ色んなことに圧されて
逃げるように伸びていくしか無いかも知れないですが、
その先にはきっと良いことがあるはずです。私は、この街でそれを学びました」

聞いているのか聞いていないのか、リギは眉間に皺をよせて黙りこくっている。

「ただ、頑張ればどうにかなるほど、この世界は甘くはありません。
手助けが無ければ抜け出せない泥沼も多いです。
だから、私が昔して貰った事を今度はリギちゃんにしてあげたいな、とそう思うんです」

よーーっ!といきなり大声を出すと、
ばっと、両手でリギの頬を挟み込み、おどけた顔で覗き込むターリエ。
彼女なりの照れ隠しなのだろう。きっと、本来の彼女は、天真爛漫な人間などでは無くて、
傷付きやすい少女然とした人間なのかもしれなかった。
どうですか~、といつもの雰囲気に戻ったターリエは、リギの頬を弄ぶ。

リギは、逡巡していた。



リギは孤児だった。日々食べるものに困り、寝る場所は路上だった。
手荒く扱われるのは当たり前であり、市壁の中にはまず入れない。
運良く大きな街に入れても、暮らしは変わらなかった。
普段は貧者や、はじかれ者がたむろする市壁の周りで暮らし、
市政が"大清掃"を行えば、また別の都市へと居を移した。
裏切られる事は日常茶飯事だった。
しかし、人を信じること、感謝することも大事だと思っていた。
人に対する態度はいつか自分に返って来る。善く生きれば、善い人生が待っている。
そう言われて育った記憶は、まだリギの心の中にある。根が真面目なのだ。でも。

「……っ」

ボロボロのスカートの裾をぎゅっと握る。
知らない大人に騙されて付いて行って痛い目を見た事は何度もある。
その度兄に度し難い低脳だと罵られたものだ。
おかしいではないか。人に対する態度が自分に返ってくるのなら。
善く生きても報われなどしない。

「……っ……」

でも、今度はどうだろう、この人はどうなのだろう。
私を善い方向に導いてくれる人なのか。
困った時、駄目になってしまいそうな時、
リギの兄は、彼一流の荒っぽいやり方で、リギの事をいつも助けてくれた。
でも、その兄は、もう居ない。
自分で決めなければいけないのだ。自分で、責任を持たなければいけないのだ。

「……うぅぅ…」

目の前に掴むすそが無い。

「……おにい、さま……」

それだけで、リギの小さな頭は限界を越えた。
少女は、その場で、泣きだしてしまったのだ。



ターリエは、懐かしくなりながら目の前で泣く少女を見ていた。
ちょっと、先を急ぎすぎましたかね、と自戒をしながら、その少女に話しかける。

「リギちゃん。ご飯食べませんか」

しかし、リギは返事を返さず、しゃくりあげている。

「ちょっと、待ってて下さいね」

そう言うと、ターリエは近くの家に歩いていき、扉をノックする。
家人が出て来た。嫌な顔をしながら現れた中年の女性は、
訪ねて来たのがターリエだと解ると途端に笑顔になった。
ターリエが身振り手振りで何かを説明する。
すると、女性が一旦家に引っ込んだ。
すぐに戻ってきた女性は、布をかけたバスケットをターリエに渡す。飛び跳ねて喜ぶターリエ。
女性は豪快な笑みを浮かべると、ターリエの背中をバンと叩いて扉を閉めた。


―― 4 : 確かめなきゃいけないこと ――

「この木イチゴのタルト、美味しいですよぉ~
ヘンベラトスさんの作るお菓子はいつも美味しいんですよねぇ~」

ん~と言いながらターリエは頬に手を当て恍惚としている。
リギは未だうずくまったまま顔を見せない。

「あ~美味しい、これ美味しいなぁ~!」

と、これ見よがしに言うと、次の一切れに手を伸ばす。

「いくら食べても飽きないんですよねぇ~あむっ」

既にターリエは先程貰ったタルトの三分の二を食べていた。
リギが、ターリエの肩をバシッと叩く。

「……ぐすっ、結局、自分で全部食べちゃう気ですか。
っぐ、あなた、本当にとんでもない人ですね」

そうでした、とターリエが笑った。

「食べます~?」

地面に腰を下ろしているターリエが、
隣でうずくまっているリギにタルトを差し出す。
しかし、リギは首を横に振った。

「えぇ~、そんなこと言わずに~食べましょうよー!」

リギは、再び首を横に振る。

「えぇ~、ほらほら、ほらほらほらぁー!」

根負けしたリギが何か言おうと横に振り向いた瞬間、
運悪くリギの鼻先にタルトがぶつかった。

やっちまいましたよ!

ターリエは内心で頭を抱えた。
リギが爆発寸前といった風に身体を震わせている。

「っ、っ……! 」

「ご、ごめんなさぁああい」

「っく、あははは……ふふふ」

鼻の頭にクリームをつけて、ころころと笑うリギを見て、
ターリエは、お、おぅ……、と驚いていた。

「なんか、考えた所で無駄ですよね。
ここで引っ掛かるようならこの先生きていけなさそうですし。
……ん、おいし、甘酸っぱくって、んー……」

「お、おいしでしょぉう?そうでしょぉう?」

挙動不審になっているターリエのそばで、
リギは鼻の頭についたクリームを舐め終えていた。

「そうです、使えるものは何でも使えば良いんです。
この街で、あの診療所で、私は兄が本当に死んでしまったのか、確かめねばならないのです」

リギは、ぐっと拳を握る。

「泣いただけで随分すっきりしましたねーー……」

リギがガラ悪くターリエを睨めつける。

「も、もう少し、食べます?」

「……人攫いは、よく食べ物で子供を釣るんです。そして、さらわれた子供は、
ヘンタイなお金持ちのところに売られて、ヘンタイなコトをされるんです。
夕暮れに重たい剣を持って現れる少年などいるはずもなく、きっと続くのは地獄だけなんです」

「そんなのどこで覚えてきたんですか……」

ターリエが引きつった笑みを浮かべる

「兄が、本を読むのが好きだったので」

リギは嬉しそうに苦しそうに目を伏せる。

「……そうですかーお兄さん経由でー」

兄妹間のアレな話に発展しかねない。
ターリエは愛想笑いを浮かべると、深くは突っ込むまいと心に決めたようだ。

「兄が、この街で体調を崩してからずっと、
この街に来るんじゃなかったと思ってましたけど、
まあ……、少しは良かったです。タルト美味しかった……」

やれやれ、とターリエはため息をつく。
しかし、次の瞬間にはもう、ターリエはワルぶった声を出していた。

「リギちゃぁ~ん、甘いですねぇ。
人攫いは、こういう気がゆるんだところを狙うんですよぉー?」

リギが軽く笑う。

「私も、そう思ってました。だから、
そういう事をしないターリエさんを、少し信じてみようと思います」

わざとだろうか、リギはまぶしいほどの笑顔をターリエに送っている。
お、ぉう、やりやがるな、とたじろぐターリエ。

してやったりと言った体でリギは口角をあげる。

「ほぉーらー! ターリエさん! 早く紹介してくださいよぉー! 例のあの人ー!」

いたずらっぽく笑うと、立ち上がり走り出すリギ。

「ちょ、ちょっと! そっちじゃないですし、
人の御主人を某つるっぱげの悪い魔法使いみたいに言わないでくださいよぉー!
わたくしの主人、プルート・ジルコニア博士は、
そぅれはそぅれはえらぁ~い博士なんですよ!
いーくら私でもからかわれたらおーこりますよぅ!?
あ、ちなみに博士の専門というのは――」

「それ絶対長くなりますよね!?
ん? ぷるぅと、じるこに、あ……?」

立ち止まり、しばし考え込むリギ。
しかし、すぐに考えるのをやめ、また走り出す。
根は真面目だが、彼女は、少々こらえ性が無かった。


―― 終節 : 孤児の少女と召使の女性 ――

孤児の少女と召使いの女性が、時に言葉で、時に身体で、押し合いへし合い水路沿いの通りを走っていく。
未だ曇天は続き、街に落ちる影は深い。しかし、雲間から街並みへと、一条の陽光が差し込んだ。
この街にはびこる死病が、世界に絶望した神の涙であるというならば、
灰色の街を照らす光は、まるで世界に希望を持った神の微笑みのようで。
それはそれは、奇跡でも起きそうな光景だった。

 
END

“ Story is end, but Linkage with ... ”



“ Which Ages is the next Linked to ...... ? ”

Cf. Exsequor - 絶望サイプレス

―― 戻る ――