CLOSE

目次
序節
第一節
第ニ節
第三節
第四節
第五節
終節

-The other side story-
Linkage : 02 名簿の人たち

Fabulatore Official Website
ミハイル ミハイル
労働者委員会機関員。無表情。
セルゲイ セルゲイ・グレコフ
労働者委員会書記長。独裁的。
アレクセイ アレクセイ・ベレゾフスキー
労働者委員会幹部。神経質。
ユーリィ ユーリィ
不良少年。

―― 序節:トカゲ ――

トカゲという動物がいる。四つ足で、鱗を持ち、尻尾が生えている、
二股の舌をチロチロと見せるあのトカゲだ。
体長4mになるものもいるが、大抵のものはそこまで大きくない。
変温動物である為、動き出すには体温を上げる必要がある。
身体が暖まるまで身じろぎもせず、じっと地表で日光浴をする様は、怠け者と称された。
この北限の国にはその"トカゲ "を狩る物たちがいる。


―― 1:労働者の為の非労働者取締委員会 ――

「――同志諸君。トカゲという言葉には二つの意味がある。一つは怠け者、もう一つは、」

黒い眼帯をした男が抜き身の軍刀を素早く振る。

「こそこそと逃げ回る、と言う意味だ」

「――――ぁ゛ッ、ひ!」

鮮血が飛び散る。壁に染み込んだ血痕を、テラテラと暖炉の灯が照らす。

「おやおや、痛い、痛いのか? 気を失いそうなのか? 同志ボリス。仕方がないな。
――同志ミハイル、もう一本ヘロインを打ってやれ」

「やめ゛て゛くれぇ……!」

顔は、鼻を中心に血にまみれ、後ろ手に手錠をかけられ、木の床に座らされている男、ボリスは、
喉を潰されているのか、地を這うような声でわめく。
しかし、無情にも二人の男に身体を押さえつけられ、腕を固定されてしまう。
先ほど眼帯の男に切られた肩から、じわじわと血がにじみ出していた。

「意識を飛ばそうなどということは、甘い、甘いことなのだよ……同志ボリス」

眼帯の男が諭すようにそう言うと、脇から色素の薄い金髪の青年、ミハイルが出てきた。
針の先から内容液を微かに飛ばし、注射器を構える。
ボリスは、荒い息でどうにか抵抗しようとするが、土台無理な話であった。
何度となく打ち込まれ、青黒く変色しているボリスの二の腕に、ヘロインが注入されていく。

「わた゛し、わたし゛ばやっでない゛、わだし――あぁ、あっ……」

「女神様でも見ているのかい、ボリス?
それじゃあ迎えが来ているうちに、そろそろ終わらせようか」

先程までの荒い息は徐々に収まり、恍惚とした様子で宙を見ているボリス。

「私を暗殺しようとしだろう? 同志ボリス」

「ハハハ、ハハハ、勿論さ゛当た゛り前じゃないか゛!
帝政の頃の゛方が良かった゛! 今のこ゛の国はクズだ!!
今の私な゛らなん゛でも出来る気がす゛るよ……」

眼帯の男が、ボリスににこりと微笑みかける。

「それは、結構な事だね。仲間はどこにいる?」

ボリスの目がトロンとしはじめ、瞼が徐々に落ちていく。

「仲゛間……結構゛な事だね…仲゛間…仲間゛は結゛構……」

「誰が寝て良いと言った? 同志ボリス」

眼帯の男が、ボリスの折れ曲がっている膝の関節に軍刀を突き刺す。
ボリスがうっすらと目を開けた。
膝の肉を掻き分け、骨と骨の間に幅広の刀身をねじ込みながら眼帯の男は問う。

「仲間がいるはずだろう、まさか一人で計画したことではあるまい……。
幸い我々が優秀だったおかげで、事は未然にふせがれたのだ。
我々の監視の眼から逃れ、平和な共和国を争いに巻き込もうとする
《反革命の使徒(トカゲ)》はいらない。この国に必要なのは、革命と労働だ。
革命と労働だろう? なあ、ボリス」

眼帯の男が、腫れ上がったボリスの頬を鷲掴みにする。

「仲間は、ここにいるのか?」

突然の獰猛な声に、部屋にいるものが一斉に息を詰め、震え上がった。
少しでも疑われたら最後、この場で同じように拷問されて処刑されるだろう。



「同志ボリスは結局喋りませんでしたね、同志セルゲイ」

暖炉の薪が燃え尽きて、徐々に冷えてきた部屋の中、
セルゲイと呼ばれた眼帯の男が、血に濡れた軍刀を布で拭っている。

「"元"同志ボリスだ、同志アレクセイ。嘆かわしい、嘆かわしい事だよ」

セルゲイは鞘に軍刀を仕舞い、元はボリスの服だったであろう布を放り捨てる。
アレクセイと呼ばれた痩躯の男性は、
部屋の後始末を指揮しながら頷いた。

「全くです。何が理想かと言う事がわかっていない。
兵士や労働者が、これまでどれだけ帝政に虐げられて来たかということを、
彼は忘れてしまったのでしょうか」

「さて、な。目先の金に目がくらんだのかもしれん」

「愛しの妻君を目の前で殺されても吐かなかったんですから、相当の金を積まれたんでしょう」

「違いない」

室内にセルゲイとアレクセイの下卑た笑い声が響く。
二人の談笑には加わらず、幾人もの揃いの軍服を着た男たちが部屋を右へ左へ、
家財を移動させている。要るものと要らないものをより分け、
要るものは自分の懐に入れ、要らないものはそのまま置いていく。
先程まで水を打ったように静まり返っていたのが一転、室内はにわかに騒がしくなっていた。


―― 2:相応しい教育 ――

窓の外は暗く、白い。深い雪の夜だった。

「……っ……ぁ」

ここは、労働者の為の非労働者取締委員会 幹部、ボリス・カミンスキーの別荘。

「……ぁ……ぁぁ」

そのボリスが拷問の末殺された部屋の隅に、異常な程身体を震えさせ、へたり込んでいる少年が居た。
無理やり目を見開かされていたのか、目蓋が赤くなっている。
ボリスの息子である少年は、ただただ震えながら前を見ている。
しかし、ボリスとその妻の遺体が部屋の外へ運び出される段に至って、少年は初めて動きを見せた。
近くに転がっていた万年筆を、運び役の男たちに向けて投げつけたのだ。
しかし、力み過ぎたために万年筆はすっぽ抜け、あらぬ方向へ飛んでいった。
談笑するセルゲイとアレクセイの方へである。
少年は最早、恐怖も興奮も嗜虐もない交ぜにした歪な笑みを浮かべていた。
回転しながら飛んでいく万年筆のペン先がセルゲイの方へ向き、そして――
軽い音がした。

万年筆を受け止めたミハイルは、少年の前に立ち、首を横に振った。

少年は、この世の終わりの様な顔で絶望している。

万年筆をしまいながら歩み寄ったミハイルは、少年の首にあるモノをかけた。
いかれた発動機のように震えている少年。
首にかけたモノを丁寧に服の中に押し込むと、ぐしぐしと頭をなでるミハイル。
少年が、恐る恐るミハイルを見上げた。

「――――」

少年が、口を開いた

「人の声、神の声」

しかし、少年が疑問を発する前に、ミハイルの背後から別の声が飛んだ。

「抑圧された労働者よ、団結せよ」

ミハイルが応える。

「同志ミハイル、今日はご苦労だった。いつもながら、君の働きぶりには感服するよ」

ミハイルは素早く振り返り、左拳を腰の後ろに、右拳は垂直に額の前に掲げる。委員会式敬礼だ。

「あの疑り深いボリスの警戒を良く解いたものだ。
君が不得意な事を知りたいぐらいだ。なあ、同志アレクセイ」

「……そうですね」

上機嫌なセルゲイに対し、アレクセイの言葉はどこか歯切れが悪い。

「いえ、御先達の方々には敵いません。特に同志セルゲイ、貴方には」

敬礼から姿勢を直し、直立不動で淡々と答えるミハイル。

「ミハイル……。おいおい、おいおいおい」

違うだろう? と言いながら、セルゲイは頭を横に振る。

「そういう言葉は、もう少し媚びへつらいながら言うものだぞ?
だが、そうだ、そうだとも。私に敵うものはいるはずが無いのだ。
だが、優秀だ、お前は、私の次に、な。だからこそ――」

まばたきをする間で、セルゲイは抜刀する。ゴウと音が鳴り、

「裏切らないよなぁ? ミーシャ」

ピタリとミハイルの眼前で軍刀は止まった。まつげの先に刃が触れている。
突然の事に驚いたアレクセイは、口をパクパクさせていた。
しかし、愛称呼びされたミハイルはぴくりとも表情を動かさず、平坦な声で返事を返す。

「勿論です、《先生(セルゲイ・グレコフ)》」

「可愛げのない」

フン、と鼻を鳴らすと、セルゲイは刀を納める。
自分だけが驚いたという状況がよほど屈辱だったのか、アレクセイは徐々に顔を紅潮させていく。
そんなアレクセイをよそに、セルゲイは言葉を続ける。

「ミーシャ、要監視で一般労働所預かりと決まっていた
その子供になにをしていた。我々は見ていたぞ」

ミハイルの後ろで、恐怖に縛られ、固まっている少年。
セルゲイは、その少年を指差していた。

「この少年に相応しい教育を考えていました」

「ばかなことを――!」

セルゲイが、激昂し始めるアレクセイを手で制する。

「そうか、そうか。教育は大事だ。子供ならば、まだ教育次第で良き労働者となるだろう」

セルゲイが大仰に頷く。

「しかし大人は駄目だ。最早貴族主義に染まりきっている《非労働者(トカゲ)》が多い。
その場で殺すか、死ぬまで《強制労働所(ラーゲリ)》で今までの罪を贖って貰わなければならない。
暇と金を持て余してた貴族どもが金を吐き出し、働き始めれば、
この国は今まで以上に豊かになるだろう! そうだ、なぁ?」

「はい、仰るとおりです」

「ならば、だ。貴族主義に凝り固まった裏切り者の肖像を、写真入りのロケットを、
その無垢な子供に与えて――、お前は何をしようとしていた?」

はっとした少年は、ミハイルの後ろで、服の上から胸元をぎゅっと握り締め、
ロケットペンダントを必死に守ろうとしていた。
しかし、ミハイルの正面では、過つ事は許されない、とセルゲイの眼が言っていた。
セルゲイは微笑み、軍刀にこそ触れてはいないものの、いつでも抜けるはずだ。
返答次第ではもう一度、ミハイルのまつげへと触れるだろう。
そして、今度はその先へ進み、中身をえぐり出す事もやぶさかではないはずだ。
ロケットを受け取ってしまった以上、少年も無事では済むまい。

軽く息を吸うと、ミハイルは唇を開いた。

「同志セルゲイ、御言葉ですが、あなたは人間というものがわかっていない」

相変わらずの無表情でミハイルはセルゲイに苦言を呈する。

「数多の革命運動を先導してきたこの私が、人間をわかっていないと……! そういうのか!
……いつの間にか我が弟子は、随分と偉くなったものだなあ!」

額に手の平を打ちつけると、セルゲイは心底愉快そうに次の言葉を促す。

「ならば、聞こうじゃないか」

微塵も笑っていないギラついた目と、過剰な笑みが、問う。

「無垢な子供に、反体制の意志を根付かせるような物を渡して、
我々にどんな得があるのかということを、じっくりと、な?」


―― 3:"鉄のミハイル" ――

それは、喜んでいるのではない。怒っているのだ。
その笑顔は、凶器を突きつけられるより遥かに恐怖を感じるだろう。
他方、限界まで怒りを我慢している顔。
その青筋を見た部下は、最早家には帰れぬ事を覚悟して、
全速力で仕事を進めなければいけない。
不出来な部下を待っているのは、極寒の強制労働だ。

「……労働とは、効率です」

組織の長と幹部1人を前に、主力ではあるが平の機関員であるミハイルは、何のてらいもなく説明を始める。

「人材を最適な状況に置いてこそ、労働の最大利潤は確保出来るのです」

ミハイルの後ろで、少年は、ぎゅっと身体を抱くようにして震えている。

「――この国は、国民全員に労働のノルマが決められています。
政府が決めた仕事を、政府が決めた分行い、そして、
その利益を皆で分け合うと言うシステムでこの国が成立しているからです」

「続きを」

セルゲイは、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。

「ですから、非労働者は罪であり、金を溜め込む者は悪なのです」

アレクセイは、いい加減にしろとでも言いたげな目つきでミハイルを睨みつけていた。
ミハイルが言いたかった事が、本当に少年に温情をかけるべきだ、ということなら、
今は誰でも知っているような事を並べ立てている時間稼ぎの時間だ。
セルゲイは、いやらしく笑みを浮かべ続けている。

「ここからが本題です。怠け者と、帝政復活を目論む旧貴族、
階級の敵である"トカゲ"を狩る他に、国民生活を良くするにはどうすべきか」

上の者に楯突いた以上、ミハイルは処分を免れない。処分を免れない以上、当たり前の事だけを言っていては意味がない。
しかし、この国にそぐわない事を言えば、そこで終わりだ。

「それは――、」

そして、裏切り者の写真を、その子供に渡したということは、
どこをどう考えてもこの国にそぐう事には行き着かない。
少年に余計な温情を与えた時点で、ミハイルの末路は決まっていたも同然だった。

「労働の効率を上げる事です」

《強制労働所(ラーゲリ)》送りか、即時処刑――。その末路を遠ざける為には、時間稼ぎをするしかない。
それを、分かっていてセルゲイは笑っているのだ。
この獲物は、どれだけ自らの結末を先に伸ばせるのだろうか、と。

「それと、子供に余計な温情を与える事と、どう関係があるのだ……!?」

セルゲイに制されてから、我慢に我慢を重ねていたアレクセイが、痺れを切らしたように声をあげる。
しかし、ミハイルは慌てない、騒がない。

「では、同志アレクセイにお聞きします。貴方は、何故働くのですか?」

いついかなる時も、感情に左右されず、冷徹に命令を遂行する。
そこからついた二つ名は、“ 鉄のミハイル ”。
ミハイルは、わざと自らを死地に追い込んでいた。



「なぜ働くか? そんなものは祖国のために決まっているだろう!
それ以外に何があるというのだ……!!」

「模範的な回答、ありがとうございます」

「なにをォ!?」

今にも軍刀を抜かんばかりのアレクセイ。
セルゲイは、最早制止をしない。

「そう、人は金の為に働くのではありません。
家族のため、友人のため、この国に住む全員のため、人は働くのです」

ミハイルはくるりと後ろを向く。

「ならば、その家族を身近に感じられるものを身につけていた方が、
やる気が高まり、その分効率も高まるのでは無いのですか?」

軍刀を振りかぶるアレクセイ。しかし、そこにセルゲイが口を挟む。

「つまり、国民全体の富を底上げするには、労働効率を高め、
そうして余った時間を更に労働にあてれば良い。
ペンダントを渡したのはその効率を高める為だ――そういう、ことかね?」

「はい、仰る通りです」

「何を言い出すかと思えば……ミーシャ。
お前は、本当にそんな事が言いたかったのか?」

床板を軋ませ、セルゲイがアレクセイの前に出る。アレクセイは、慌てて軍刀を下げた。

「第一、その子供の“ 家族 ”はもう居ないのだぞ?
殺された親の形見を肌身離さず持っていれば、生まれる感情はなんだ? ――復讐心だ」

ミハイルに近づいていくセルゲイ。

「お前こそ、“ 人間というものがわかっていない ”のではないか? ミーシャ」

背を向けているミハイルのすぐ後ろまで来て、セルゲイは止まった。

 ・・・・・・
「だからですよ」

ミハイルは言う。

「復讐心を育むからこそ、我々労働者委員会に利益が生まれる構図があるのです」

鉄の擦過する音を立てながらゆっくりと刀身を引き抜いていくセルゲイ。

「言ってみたまえ」

「もっと働け。その形見のペンダントを取り上げるぞ、
と脅して貰うんですよ、労働所の人間にね」

少年が衝撃を受けたように目を見開いた。


―― 4:目的の達成 ――

呆然としている少年を持ち上げ、少年共々セルゲイに向き直るミハイル。

「そう言えば更に効率が上がるでしょう。形見を取られたく無い一心でね。
そうして、募るはずです、怨みが、不満が」

少年の首にかかっているペンダントのチェーンを持ち上げるミハイル。

「親を殺した人間達に監視され、こき使われ、ひどい扱いを受ければ、
いつかこの状況を変えてやろう、いつか復讐してやろうと思うはずです」

細やかなチェーンが音を立て、少年の顔の高さまで持ち上げられていた
ロケットペンダントは、また首もとへと戻った。

「そして、ここからは2つの道があります。
一つはこの少年を、我々の支配下に置く道、
もう一つは、優秀な幹部候補生に育てる道です」

笑おうとしているのか口角を微妙に上げてミハイルは言う。

「一つ目。これは、先生お得意の手法ですからご存知でしょうが、
周りの人間が高圧的に接する中、一人だけ尋問相手に非常に優しく接すると、
「ああ、私はひどい所に連れてこられたが、この人はマシな人だ」と勘違いし、
その尋問官に心を許してしまう、という手法があります。
それを転用し、私の、引いては我々の言うことを聞きやすくする、というのがまず一つ目」

軍刀を床に突き刺し、顎髭を撫でながら黙って聞いているセルゲイ。
徐々に少年が震え始める。

「2つ目は、復讐心の相転移です。
この子供が復讐するとすれば、同志セルゲイ、それはあなたでしょう。
今復讐出来ないと言うのならそれはいつか。
労働者委員会の一員となり、あなたが現場に出向く時です。
幸い、あなたは組織のトップだというのに良く現場に赴かれる。
自らの作った組織の稼働状況が見たいから、でしたっけ?」

また微かに口角を上げる。

「――機関員になりさえすれば近づく隙はある。
では、機関員になるにはどうすれば良いか?
この国のあり方を良く理解した模範労働者になれば良い。
そうすればいずれ声がかかる。そして機関員になったとして、しかし、
現場に出るまでには労働者委員会のあり方というものを十二分叩き込まれる。
その頃には、ある事が、この子供の心の中で生まれていることでしょう」

少年の胸をばんと叩くミハイル。
ミハイルの豹変に少年は目を白黒させていた。
自分を庇ってくれる人が現れたと思ったら、それは嘘だった。
混乱しない方がおかしいだろう。

「……その、ある事とは?」

好奇心には勝てなかったのだろう。
セルゲイの後ろで、アレクセイはうなるような声をあげる。

「相転移ですよ。良くある話じゃないですか。この汚れた世界を変えてやる!
と意気込んで入った世界に、頭までどっぷり浸かり込んでしまう、なんて話は。
愛国心をこじらせて左派から右派に転向してしまう人もいる。
ある点を境に、物質も心も、がらりと変わってしまう。
そんな事は、よくある話じゃないですか。
そうして、その頃に女でも与えてしまえば、もう後戻りは出来ない」

にんまりと笑おうとしたのだろうが、ミハイルの浮かべた笑みは、
本能的な恐怖を覚えるいびつなものだった。

「……そんなに簡単に復讐心が消えるものか」

「お言葉ですが同志アレクセイ、
そう長々と復讐心を持っていられるのは、作り話の中だけです」

「知ったような口を……!」

そのまま続けて怒鳴ろうとするが、一度言葉を飲み込むアレクセイ。

「……一つ言っておこう、同志ミハイル。
確かにけしかける事でその者の効率は上がるかもしれない。
優秀な同志が出来るかもしれない。だが、な」

その言葉は、神経質に口元を震わせながら。

「そこまで手間をかける意味がどこにある。
復讐のリスクを以て有り余るほどの優位性があるとは私は思えない」

視線は射抜くように鋭く。

「……それどころか、お前自身の目的の為に
お前の私兵を作ろうとしているのでは、と私は思っているよ。
お前の言で行けば、その子供はお前の支配下に入るのだろう?」

手を振り、声を張る。

「両親を売り飛ばしてまで噂を払拭した、" 鉄のミハイル "よ、
お前は何をたくらんでいるのだ……!?」

今まで沈黙していた他の機関員が、ミハイルを円形に取り囲む。

「同志として言おう。お前は、信用ならない……!」

アレクセイの言葉に呼応して、一斉に軍刀が抜かれ、円の中心を貫いた。



セルゲイの頬に、返り血が飛んでいた。
ボリスの息子は足をもつれさせ、転げていた。

「なぜ、避けないのだ」

ミハイルの上半身、至る所を軍刀が貫いていた。
口から血を垂らし、しかしミハイルは一つも表情を変えない。

「どこに避ける必要があるのですか」

無表情な目でアレクセイを見る。
ずぶり、と軍刀が刺さったまま前進をする。

「私には、何ら非を感じる所がありません」

機関員達が顔を引きつらせ、少し退いた。

「ですから、逃げる必要がありません。働けぬ不具者の父を持つが故に
階級の敵と指差され、肩代わりのノルマに潰されそうだった私を拾ってくれた。
その組織を、《先生(セルゲイ・グレコフ)》をどうして裏切れましょう」

その澄んだ空虚な瞳。折れたかのように首をかしげる。

「私の人生は、この国と共にあります」

ヒクっと、アレクセイが口の端を神経質に震わせた。

「く……、くくく、ハハハ」

セルゲイが笑い始める。
笑い声は徐々に大きく、耐え切れなくなったかのように。
やがて夜をかき乱すほどの哄笑となる。
ガシャン、と軍刀が勢い良く鞘に戻された。

「覚悟が違ったようだなあ、同志アレクセイ!」

顎髭をを撫ぜ、セルゲイはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべる。

「しかし、同志アレクセイが言う事も最もだ。
労力に見合う効果があるとは思えん」

それに、と言ってへたり込んでいる少年を覗き込む。

「ミーシャ、お前は避けなかったようでいて刀をしっかりと避けていたな?
全ての太刀筋から急所が外れるように微妙に身体を引いていた」

「…………」

「お前は、そこまでして何を担保したい?
嘘臭いまでの忠心は、疑念を産むぞ?」

ミハイルは少し考え込むように黙ると、口を開いた。

「……しかたありませんね
あなたの為に、これは言うまいと思っていましたが……」

と言い、ミハイルは続ける。

「同志セルゲイ。この子供は、幹部の子です。一般労働所行きなどという生ぬるい処置を下せば、
あなたを良く思っていない組織内のトカゲ共は、必ずやこの子供を担ぎ上げ旗印にするでしょう。
ですが、殺すというのも損失だ。洗脳して抱え込むのが一番良いでしょう。
その為には、きっかけとなる強い指向性を与えなくてはいけません。
怨みの残滓を残しつつ、日常生活に戻すなどという状態が一番漬け込まれやすいのです」

吟味するようにミハイルを見下す。

「……なるほど」

セルゲイがさっと片手を上げる。
機関員達は、一斉にミハイルに刺さっている軍刀を抜いた。
ドサッと膝を着くミハイル。

「……ありがとうございます」

「礼には及ばん。ミーシャ、面白い男よ。……しかし、残念だったな」

セルゲイ、最大の笑み。

「――もう、この子供は使い物にならんぞ」

神速で振り抜かれた軍刀は、少年の顔を切り裂いた。返す刀で左腕を斬り落とす。
失禁して放心していた少年を一気に現実に引き戻す激痛。

「――ぁ゛!!」

鳴り響く絶叫。

「労働者委員会総則4、五体満足でないものは機関員足り得ない。
お望み通りこの子供は、《強制労働所(ラーゲリ)》送りだ」

少年は、右目を失明した。左腕は肘の辺りから血が吹き出している。
ミハイルは、相変わらずの無表情でのた打ち回る少年を見つめていた。

「今までの功績に免じて、一度だけ、一度だけ、
この子供につまらぬ同情、憐憫を抱いた事を許してやる。
大方、重なって見えたのだろう? お前の大切な《あれ(ブラート)》に」

「……申し訳ありません」

ミハイルを鞘で打ち据えると、不機嫌に鼻を鳴らし、
セルゲイはもうミハイルの方を見なかった。

柏手を打ち、セルゲイは皆に宣言する。

「さぁ、胸の悪い話は程々にして、我々は明日を見なければならない。
そろそろ夜が明ける。信頼出来る仲間と、朝日に向かって歩いていかなければならない。
我らは夜の影と共に現れ、朝の光と共に消える。
影に蠢く《階級の敵(トカゲ)》が消えたなら、我らもまた消えようぞ」

後片付けが済んだ屋敷は、綺麗に掃除が施され、
まるでそこは元から誰も住んで居なかったかのように整頓されていた。

周りの民家から遠く離れたこの家は、やがてごく自然な火事で消滅する事となる。

《強制労働所(ラーゲリ)》に連行されていく少年を見ながら、ミハイルは微かに口角を上げた。

彼の目的が達成された瞬間だった。


―― 5:強制労働所 ――

建物の外周を子供が歩いている。しゃがみこむと地階を覗ける窓があった。
その格子窓からは、女性が編み物をしているのが見える。
色とりどりの毛糸玉を脇において、かぎ針を動かしている。
長さと幅からしてマフラーだろう。
同じく収監されている女性が、糸がからまないように手伝いをしている。
服装は囚人服だが、二人ともほがらかに微笑んでいた。
ふと、二人が振り返る。
ゆっくりと雑居房の扉が開き、鉄の盆に乗せられた食事が運ばれてきた。
湯気が立っている。子供は、盛大に鳴る腹をよそに、その場を後にした。



また、別の場所。先ほどと同じ建物の外周を子供が歩いている。
同じように地階への窓を覗くと、
そこには車椅子の膝に毛布をかけた壮年の男性が本を読んでいた。
眉間に皺をよせ、ページをめくっている。
おもむろに眼鏡を取ると、目の間をほぐし始めた。
独房に暖かい日差しが差している。
しばらくすると、男性は、こくりこくりと船を漕ぎ始めた。
見るからに心地良さそうだ。しかし、その至福の時間も終わりを告げた。
男性がびくりと身体を震わせる。
先ほどと同じように湯気の立つ食べ物が扉から顔を出していた。
子供は背中に回していた画板を腹に回し、その場を後にする。



" コーネフ夫妻を監視せよとのお話
 マリヤ=ユージノワ、エフゲニー共に
 特に異常はありません。良好です。
 色々問題はあると思いますが、
 あなたも一度ぐらい会いに来てはいかがですか。 "

手紙だ。

左肘でどうにか紙を押さえながら書き上げると、子供は、鞄から小瓶を取り出した。
砂を振り掛け、インクを乾かす。ぷくりと膨らむ砂が愛らしい。
乾かし終わると、慣れた手つきで鳩の足首に手紙を括り付け始めた。
そうして、空へと放つ。伝書鳩を、西の空へと見送った。
ここ北限の国の北東の街はまだ肌寒く、辺りには雪が残っていた。雪解けは遠い。
子供は、きびすを返すと先ほどの建物、《強制労働所(ラーゲリ)》の方に戻って行く。
その途中、普通の人間なら避けるはずの木の幹にぶつかって尻餅を付いた。
そして、上手く手を着けずに派手に転んでいた。慣れてないといった身のこなしだった。
嫌な顔をして尻と背中を払うと、片手を着いて立ち上がる。
画板の位置を直すと、長い袖をぶらぶらとさせながら歩いていく。
親の元へと戻るのだ。その子供の胸には、ロケットが煌めいていた。



ボリス・カミンスキー宅が灰燼と帰してから1ヶ月後――。

「(やはり、信用ならなかったではないか……!)」

ボリス夫妻が生きているという証言がアレクセイの耳に上がってきていた。
非常に忌々しい。神経質な情報部長の心持ちは、荒れに荒れていた。
ミハイルは信用ならないと言うアレクセイの勘は、的中していたのだ。
どこでどう摩り替えたのだろうか……。半死半生だった子供も生きているという。
なぜあの時、子供にもミハイルにも止めを刺さなかったのか。
それが、今でも悔やまれてしょうがない。

「(あの甘い処分さえなければ)」

昔のセルゲイならば、どんなに目をかけている部下でも
一度間違いを起こせばすぐさま斬り捨てていたというのに……。

ため息。

「(同志セルゲイも耄碌したものだ)」

深めの雪を踏みしめて進む。

「(まあ、しかし)」

あのミハイルが、あそこまで身体を張って危険を回避するとは、な。

アレクセイの心の中に暗い喜びが生まれる。
決して曲がらない忠誠心と、
あらゆる手段を使って冷徹無比に任務を遂行する姿、
そして、降りかかる危険を最小限に留める判断能力。

そんな、そんな人間が、あそこまで身を危険にさらすとは。

アレクセイは忍び笑いを漏らす。

「(私も随分上手く追い詰めたものだなあ!)」

そう、ミハイルが両親に手を下さざるを得ない状況を作り出したのは、
他でもないアレクセイだった。

「(傑作だな、ミハイルよ。所詮、お前は私には敵わないのだ)」

アレクセイは口元をひくひくと震わせながら笑う。

「(さて、ミハイル。
お前が何としてでも守りたかったものが何か、私は知っているぞ――)」

アレクセイは、目的地に着いた。路地裏だ。未だ雪がちらつく北限の国。
広大な森林を擁し、木の国とも呼ばれる国。しかし、
ここ首都では、もっぱら石造りの家が主流となってきていた。
この寂れた路地裏も、ご多分に漏れず石壁だった。
平等主義の国にこそ不平等は強く現れる。
《名簿の人達(ノーメンクラトゥーラ)》
政府のリストに記された、役職者や芸術家達。
高価な石材の家に住む者たち。
家族縁者にまで広がる権益を得て、しかし、鬱屈した毎日を過ごす者も居た。

透き通る朝の空気の中で、
路地裏の石壁を二度三度ノックする。

「ユーリィ・コーネフ君かな?」

葉巻を片手にギロリと幼い少年が振り返る。
非常に荒んだ目をしていた。
あどけない顔立ちに太い葉巻という組み合わせは、ひどくアンバランスだ。

「何の用だよ、おっさん」

ユーリィという少年は、興味が無いといった様子で視線を戻す。
アレクセイは、内心とは反対に笑みを濃くしながら話をすすめていく。

「君に、是非とも聞いて欲しい話があるんだ」

「儲け話なら間に合ってるよ。失せな」

「どうも、そっけないね、君はこの話に絶対に興味を持ってくれるはずなのだが」

「おじさん、聞こえなかったのか? 失せなって――」

「君のご両親が危ない」

少年の身体が少し震えた。

アレクセイの完璧な外行きの笑顔。
ユーリィは相変わらず振り向かないが、
全身全霊で背後に注意を向けているのが解る。

「……、私は、君のご両親が釈放されるよう常々から尽力している者なんだが、
君のご両親を亡き者にしようとしている輩がいるんだ」

ユーリィは振り返る。

「《強制労働所(ラーゲリ)》送りにしただけでは飽きたらず、な」

「……ッ」

ユーリィの顔が醜悪とも言えるほどの憎しみで歪む。

「そいつは、今どこにいるんだ――ッ!!」

ユーリィは、アレクセイの掴みかかり、襟をひねりあげた。

「まあ、待て。君ならばどうにか出来るかもしれないと思って来てみたが、
どうやらやる気はあるようだね」

「早く、教えろ……!」

「まだ間に合う。今からその人物の居場所を教えよう」

アレクセイは内心でほくそ笑んだ。
尊敬する人はお兄さんです!と言っていた頃があるそうだな、この子供は。
……因果なものだ。


―― 終節:モノクロの写真 ――

徹夜明けでの委員会施設からの帰り道。
諸用があって、立ち寄ったのだろう。
看板の無い店から、ある人物が出て来た。ミハイルだ。
政府の目に晒したく無い物を、晒したく無い人に送る。
そういう時、こういう店は重宝する。
ミハイルもまた、《強制労働所(ラーゲリ)》の所長と看守に金を送った所だった。
所謂袖の下だ。便宜を図って欲しい誰かがいるのだろう。
感情をあまり顔に出さない彼の顔には、めずらしく疲れのようなものが浮かんでいた。
早朝の通りに誰も居ない事を確認して、懐から何かを取り出すミハイル。
モノクロの写真だ。端が擦り切れていて、いつも身に付けているという事が良くわかる。
それは、《別荘(ダーチャ)》の前で、車椅子の男性を中心に、家族全員が微笑んでいる写真だった。
ミハイルはいつまでも、その写真を見ている。いつまでも、いつまでも見ている。
手がかじかんでも。吐息が冷たくなっても、ずっと。
そうして名残惜しそうに写真をしまうと、ミハイルは歩き出す。

この後、何が起こるかなど、何も知らずに。

 
END

“ Story is end, but Linkage with ... ”



“ Which Ages is the next Linked to ...... ? ”

Cf. Exsequor - ザフレク

―― 戻る ――